【鳩山氏の東大講演詳報 2010.11.23 】



【鳩山氏の東大講演詳報】 2010.11.23 07:00


            
              講演後、学園祭の野外コンサートに飛び入り参加した鳩山由紀夫前首相=21日午後

 鳩山由紀夫前首相は今月21日、東京大学の駒場キャンパスで講演し、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関する政府対応について「もっとうまい道のり、道筋を考えることができたはず。大変残念な事件になってしまった」と述べた。

 鳩山氏の講演の主な内容は以下の通り。

【冒頭のジョーク】

 「今日は駒場祭、久しぶりに駒場に訪れさせていただきました。これだけ大勢の皆様にお目にかかることができて幸せであります。鳩山でございます。どうぞよろしくお願いします。今日のタイトル、『友愛革命の灯は消さず』と。こういう風に書いたのですが、それは『ひ』と読むんでしょうか、『ともしび』でしょうかといわれまして、友愛革命はもう、灯火(ともしび)のようになってきたのかなあと、そうも思っておりますが、灯火ではなくて、大きな大きな火として燃えたぎらせていきたいと、今日はそんな思いでやって参りました」

【日米関係】

 「実は今日は、朝の5時に起きまして、6時からアメリカ大使館で、私が東大出てからアメリカのスタンフォード大学に留学して、一番楽しかったアメフトの試合、ビッグゲームというんですが、バークレーとの試合をテレビで観戦してまいりました。気分よかったんです、今日は。めちゃくちゃに勝ったもんですから。やはり東大もアメフトがかなり強いと承っておりまして、スタンフォードといつか試合がやれる時があればと思っています」

 「何をこっそり言いたいかというと、実は総理をやめてから、アメリカのルース(駐日米)大使にお会いしたのはもう7回目ぐらいになります。総理の時代はそんなにありませんでした。メディアでは、鳩山が日米関係をめちゃめくちゃにしたと、そんなふうな記事もたくさん出ております。めちゃくちゃになっていないんです。少なくとも、ルース大使とは、同じスタンフォード出ということで大変仲良くさせていただいて、いろんな情報も教えていただいておりますし、今日も、そういう意味で朝の6時から大使館におじゃまして、楽しんでまいりました。ある意味での家族付き合いもしています」

 「日米関係がおかしくなったと、めちゃくちゃに壊されたと。もしそういうことをおっしゃる方がいるとすれば、それは古い日米関係、いわゆる日本とアメリカが、いわゆる古いタイプの安全保障の中で、身動きがとれない状況をむしろ喜びたいと、何も変わらないことが、それが日米にとって望ましいんだと。そう思っている方々からすると、鳩山が登場して、何か日米が新しい時代になるんじゃないか、自分たちの時代がひょっとして終わるんじゃないかという恐れの中で、鳩山が日米関係をおかしくした。自分たちにとって、おかしくなったという部分が、あるいはあるかもしれません」

【普天間問題】

 「しかし、基本的に、今、菅内閣に引き継がれてはいますが、日米関係、決して悪い状況ではありません。もっと申し上げれば、私はあの普天間(飛行場移設=沖縄県宜野湾市)の問題で、沖縄のみなさま方には大変ご迷惑をかけてしまいました。しかしそれは、ある意味で、安全保障の議論をしていく中で、アメリカをとるか、あるいは沖縄のみなさん方のご理解をいただいて、沖縄に普天間の移設先を認めていただけるか。あるいは、さらに沖縄の外に普天間の移設先を見いだしていけるか、そのぎりぎりの戦いの中で、結局はアメリカの望んでいる方向を、若干修正する形で、落ちつかせようとしましたから、日米関係は結果として私からももっと大きな変化を望んでいた時期はありましたけども、大きな変化を起こすに能わなかったということが原因かもしれません」

 「結果として、日米関係は、今、菅内閣の下でも基本的に良好な状況を保っているところでございますが、私は国と国との関係、正しいことをしっかりと堂々と、しかし、交渉事でありますから、お互いを尊重しながら申し上げる。そういう交渉術を日本として私も含めて、もっともっと学ばなければいけないのかなと。そのようにも反省しているところでございますが、それはともかくとして、今朝ほどから、私の心の中では、日米、これからもしっかりやっていけるぞ、という思いをこの中にしっかりと抱かせていただいた1日のスタートだったことをまず冒頭、申し上げたいと思ってあえてお話を申し上げました」

【学生時代】

 「さて、きょうは弁論部主催の会だとうかがいました。私も、40数年前に駒場に2年間、お世話になりました。本当は私はその時は、野球部に入って、6大学で試合をやりたいなあ、ということを夢にみておりました。しかし幸か不幸か、私が入学したその年の春、東大が早稲田に勝ちました。え、こんなに強いのかと。こんな強いところじゃオレとてもできないなということで、野球部に入ることを辞めました。どこに入ろうかと思っているうちに4年間が過ぎたわけでありますが、弁論部だけには絶対に入りたくないなと実は思っていたのは正直であります」

 「今でも私は弁論が下手であります。申し訳なく思っていおりますが、当時から政治家なぞ、絶対になりたくない。そう思っておりました。自分としては科学の道を歩みたいと。これからは工学が日本を発展させるのだと、そういう時代でありましたから、工学の世界に身を置きたいと。当時、45年ほど前でありますから、まだバイオなどという言葉はあまりほとんど、新聞にまったく載らない時代でしたが、バイオのコンピューターなんか作りたいなあということを夢にみていた青年時代でありました」

 「コンピューターといえば、当時は大変大きなコンピューターで今の携帯にもおよばないような仕事ぶりでありました。そのコンピューターがまさに黎明期(れいめいき)の時に、私が大学時代を過ごしたものでありまして、こういう世界に身をおきたいなあと。そして日本の産業の発展のために少しでも役に立てばなと思っておりました」

 「口下手なシャイな人間として、政治家は私は無理だと。弟の(鳩山)邦夫(衆議院議員)に任そうと、そう思っておったんです、正直のところであります。弟はもう幼稚園のころからですよ、幼稚園のころからじいちゃんの跡を継いで僕は政治家になると言って、その通り、田中角栄門下生になって政治家になっていきました。私など、とてもとてもそんな世界に身を置くことができない。弁論などとても苦手な人間でありました。よく今、人前でこんなふうに話ができるなあというふうにも思っていますが、当時はもっともっとシャイでございました。弁論部のみなさん方が雄弁にさまざまなことを発言しておられる姿をみて、大変うらやましいなと思いますし、もし私が東大時代に弁論部に入っていたら、また、鳩山が軽口をたたいたなとメディアに書かれないですんでいたかもしれません。そういう意味で弁論部に入っていたらひょっとしたら人生が変わっていたかもしれません」

 「しかしながら私自身、当時はとてもとてもそういうことは思い描くことはない4年間でありました。それなりに自分としては行く道を定めていたつもりでありますが、結果としていつのまにか弟の後を追うようなことになり、政治の世界に入りました。詳しくは後でご質問でもあればお答えさせていただくが、こういう話をすると簡単に1時間ぐらいすんでしまうもので、本論に入らないと後でおしかりをうけるといけないのでこのぐらいにさせていただきたい」

【菅内閣】

 「私が申し上げたいのは、今日は3つの話を簡単に申し上げたいこれがないとどうなるかというと・・・あまり・・・菅政権批判しちゃいけませんから、あんまり言うつもりはありませんが、いまひとつ、菅内閣が何をなさりたいのかというところをもっと鮮明に出されたらよろしいかなあと思っております。理念に基づいて自分はこういうことをやりたいんだ、ということをもっと堂々とおっしゃればいいのになと、そう思います。マイケル・サンデルの言葉の中に、功利主義という言葉がございます。功利主義は何でも、ある意味で、1つの価値に代えて物事をはかるということができる考え方でありまして、例えば最大多数の最大幸福というものを、例えば政治は求めるべきだというのがひとつの考え方であろうかと思います」

 「あるいは、それをもじりましてと言うといけないかもしれませんが、菅政権は、逆に最小不幸社会と。最小という言葉と不幸というのがあるものですから、何かイメージが暗くなるんだよね。最大多数の最大幸福といった方がよりなんとなく幸せを求めている政治のように思いますが、菅(直人)総理とすれば最小不幸社会というものを目指したいと」

 「幸福と不幸の境目もさまざまあると思っておりまして、そういうことを、最小不幸というものを目指す社会が果たして本当に望ましい社会かどうかは、ある意味で十分に議論されていかれた方がよろしいテーマだと思っております。いずれにしても、私は理念に基づいた政治を今こそ行ってもらいたいと。東アジア共同体という構想も、なかなか今の政権においてどこまで重視をされていかれるのか、そこも見えづらくなってきているなと」

 「今、TPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ=環太平洋戦略的経済連携協定)、環太平洋みたいな発想が、突然ではないかもしれませんが、出てきております。本当にそういう原理なのか。私はアジアの一国としての日本の生きざまを考えた時に、より東アジアにおける友好協力発展というものを考えていくのが、まずは日本の取るべき道ではないかということをこれから申し上げてまいりたいと思っています」

【中国漁船衝突事件】

 「こういう中で、 例の尖閣において漁船衝突事件が発生しました。あの事件事故が発生して、私は、みなさんも、あの有名になりました流出されたビデオをごらんになったと思いますから、ごらんになれば明らかに中国の漁船が体当たりしてきているという姿が明らかになったと思っております。出すならばもっと早くお出しになって、捕まえるのもある意味で結構でありましたが、それをそのままにして、さらに何日か勾留を延ばしながら釈放するという判断が果たしてよかったかどうかということも、これは菅総理が自信をもって後世、これが最大最適な結論であったというふうに申しておりますが、果たしてそうであるかどうかも、きちんとこれは議論していかなければならないと思っております」

 「むしろ、東アジア共同体的な発想、友愛の発想の中でそもそもこのような事件の解決のあり方、ありようがあったのかどうかということでございまして、問題が起きないうちに、もっとうまい道のりというものを、道筋というものを考えることができたはずなのになあと、そのように思って、その意味では、大変残念な事件になってしまったなと」

 「しかも、私はあえてこのことを、情報によるクーデターだとそのように申し上げました。どこまでの本心で、あのDVD、ビデオを流出をさせたかどうかと。その意図は必ずしも判然としないところがあります。しかし、本人もそれを外に出すこと、それが正義とあるいは思ったのかもしれませんが、しかし少なくとも、政府の結論は出すべきでないと決めていたわけでありますから、その政府の考え方が楽しくないんだという発想で法を破っているということを本人も知りながら行為を行うということは、まさに情報を手段としたクーデターだとあえて私は呼ばせていただいたわけでありますが、そんな発想と思わざるをえないということでございます」

 「こういう時に、どういう判断をするべきかと。2度とこのようなことを起こさないために、国民のみなさんのご意思がいろいろあることもわかっておりますが、ご意思はご意思として、法を明らかに守らなかったと。自分としてやはりやっていることは、政府に背いていることを分かって行動しているとすれば、果たしてそれをそのままお沙汰(さた)なしというふうにしてよいのかということも、政府として真剣に考えていかなければならないテーマだとあえて申しあげたい」

 「中国の漁船事件が起きた、結果としてメドべージェフ・ロシア大統領の(北方領土)国後訪問が起きてしまったと。これも、どこまで因果関係あるかも検証しなければなりませんが、事実関係として、数日後に、数十日の後にこういうことが起きたことも事実として歴史的に残ってしまったわけでございます。私はこのような問題が、基本的にいかにして起きないようにするための努力というものを行うことが大事で、そのために理念としての友愛というものをもっと政府としても堂々と掲げていかれるべきではないか、ということを今日は申し上げたくて参ったのでございます」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101123/plc1011230702004-n1.htm

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